「住宅論」心に残る言葉 1

建築家 篠原一男の著書「住宅論」を読んだ。発行は1970年で
私が購入したのは第24刷、40年前の本だがいかに多くの指示
を得ているかが分かる。
記憶に留めておくために、心に残る言葉を記録する。
「権力の上で倒底たちうちのできない大名たちえのレジスタンス
として作り上げられたというところに、また茶室建築のもつ宿命が
ある。このわび・さびの結晶のような空間は、やはりネガティブな
エネルギーによって支えられていると考える以外にはない。日本
の建築が日本的であればあるほど、それは停滞的なエネルギー
のなかで形作られてきた。われわれが冷静にみつめなければな
らない事実がここにある。」
「すぐれた民家は豊かな風土のなかにつくられる。きびしい風土は
すまいにきびしい表情をあたえる。たから民家は正確には建築で
はなく、自然の一部なのだと私は思う」
「貴族のつくった建物は京都にあっても平泉にあっても、きっと同じ
ような表現をもつことができたであろう。それは建築として意識され
たもの、すなわち意匠されたものであるからだ。ここに民家と貴族
のすまいとの質的な相違がある。」
「民家は生活と結び付けて考えたときにだけ、現代的に意味がある
ように思える。民家は外側からではなく、内側からとらえるべきだと
わたくしは思う。」
「人間は、自分たちのすまいに対して保守的である。」
「その民族に残された優れた伝統のもつ様式の上に、自己の様式
を重ね合わせ現代の創造のみちを発見していく人びとが、ほんとう
の伝統の継承者になりうる。それには、民族の文化の本質的なも
のをまず正しくとりだすことができなければならない。また、自己の
様式へのきびしくそして奥行きの深い立体的な構想力をもつことを
要請されるだろう。」
「住宅は美しくなければいけない、空間には響きがなければいけな
いと私は考えている。」
「戦後にあらわれた合理的な生活様式が目指したものは、この古い
時代の様式の克服であった。それは多くの部分で成功を収めた。
そして、同時に日本の空間から響きを消してしまった。」

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